せきゅはら。

正直若いとはいえないネットワークセキュリティ担当者がゆるゆると書いていく駄文です:)

競技を知らない審判(長文注意)

さて、競技を知らない審判について考える。

今日(9/22)の柔道を見ながら、こんなこともあるものかと憤った。
いや、既に憤りを通り越している。
ニュースで試合の一部始終を見ている人はピンとくるだろう。
そう、柔道男子100kg超級の決勝での事である。
勝戦の結果はフランス選手の勝ちなのであり、判定を覆すことは逆に認められないはずである。

簡単に言えば冒頭に述べた、「競技を知らない審判」に尽きると思われる。
この主審、「内股すかし」という技を知らないのであろう。
また、技が完了した後の姿勢に対して、「腹ばい」と「うつ伏せ」の意味が分かっていないのであろう。
もしかしたら、カラー柔道着を採用した意味が理解できていないのかも知れない。
そのくらいひどい、柔道の試合を何度か見たものならあきれかえるようなジャッジだった。

見る立場からの柔道論を時々親父とすることがあり、意見が一致することがある。
「正道こそが柔道であり、動き回るだけや虚をつくだけといったそうでないものは柔道でなくレスリングだ」
「上半身だけでやるものは柔道とは思えない」

反則ともいえる組み手、片袖からの掛け逃げ、それらは最早・・・
「道」という意味で、果たして自分の勝ちを即座に確信できる内容だったか?
選手自身が一番それを分かっているだろう、などという考えは夢物語なのか?

極端なことを言おう。日本の柔道は世界のJUDOに迎合すべきではない。
日本だけで独立した連盟を作って世界(特に勝手にリードしているフランス)の頭を覚まさせる必要が
あるのかも知れない。
素人にここまで言わせるだけの「道」の未熟さが世界中に蔓延しているのではないか、とも。

篠原選手はできることを精一杯やった。
負けても審判には当たらなかったし、相手を(不本意ながらであったかもしれないが)称えることを忘れず、
自分の「柔道」を貫いたと思えた。
そんな篠原選手に同情をすることはない。ただただ感服して褒め称えるばかりである。
同情などはするべきではない。
また斎藤コーチも山下ヘッドコーチも紳士であった。柔の「道」を極めるとはこういうことなのであろうか。
それに対して世界の流れは? 「道」より「名誉」や「野心」なのかもしれない。
(18歳でメダルを争ったブラジルの選手には「道」という点で個人的に期待しています)

素人がだいぶ言いたい放題を言ってしまった。
だが、二度とこのような悪習を繰り返してはいけない。
今回のオリンピック、さまざまな競技で不公平な裁定が一度や二度ではなかったので・・・